2008年04月12日
秘密の花園
桜がほとんど散ってしまったものの、
お天気に誘われて、
とっておきの場所に出かけました。

ここは、
とある河川敷。
一面、黄色の絨毯です。

木立が空にそびえて、
まるで、軽井沢かどこかの高原のような雰囲気です。

この黄色い花は、
クサノオというそうです。
たまたま出会った方に教えていただきました。
クサノオだけではありません。
こちらの花はご存じでしょうか?
オドリコソウです。
大好きな花の一つです。

踊り子の姿のような花も好きですが、
ぷっくりとしたつぼみの状態も好きです。

クサノオやオドリコソウだけではありません。
こちらは、クサイチゴの花。
生垣のように、ところどころ、
山盛咲いていました。

足元を見ると、
今度は一面が紫。
これは何の花でしょう。

ムラサキサギゴケというそうです。
鳥のサギに似ているところから、
名付けられたそうです。

この花はなんでしょうか。
忘れな草に似ています。

先ほど、オドリコソウをご紹介しましたが、
こちらは、コオドリコソウです。
オドリコソウよりも、
ホトケノザの方が似ていると思うのですが。

もちろん、
おなじみのタンポポも、
しっかり花を咲かせています。

こちらは、
ハナイバナ(葉内花)。
花があまりにも小さすぎて、
私のカメラでは、
ピントが合いませんでした(苦笑)
春の花は、
桜だけではありません。
桜以外の花たちも、
この季節を精一杯生きています。
そうした姿が見られるこの場所は、
私にとって大切な
秘密の花園です。
お天気に誘われて、
とっておきの場所に出かけました。
ここは、
とある河川敷。
一面、黄色の絨毯です。
木立が空にそびえて、
まるで、軽井沢かどこかの高原のような雰囲気です。
この黄色い花は、
クサノオというそうです。
たまたま出会った方に教えていただきました。
クサノオだけではありません。
こちらの花はご存じでしょうか?
オドリコソウです。
大好きな花の一つです。
踊り子の姿のような花も好きですが、
ぷっくりとしたつぼみの状態も好きです。
クサノオやオドリコソウだけではありません。
こちらは、クサイチゴの花。
生垣のように、ところどころ、
山盛咲いていました。
足元を見ると、
今度は一面が紫。
これは何の花でしょう。
ムラサキサギゴケというそうです。
鳥のサギに似ているところから、
名付けられたそうです。
この花はなんでしょうか。
忘れな草に似ています。
先ほど、オドリコソウをご紹介しましたが、
こちらは、コオドリコソウです。
オドリコソウよりも、
ホトケノザの方が似ていると思うのですが。
もちろん、
おなじみのタンポポも、
しっかり花を咲かせています。
こちらは、
ハナイバナ(葉内花)。
花があまりにも小さすぎて、
私のカメラでは、
ピントが合いませんでした(苦笑)
春の花は、
桜だけではありません。
桜以外の花たちも、
この季節を精一杯生きています。
そうした姿が見られるこの場所は、
私にとって大切な
秘密の花園です。
2008年03月30日
桜
いつの間にか、桜咲く時期になっていました。
昨日、お天気がよかったので、
お気に入りの桜並木を見に行ってきました。

1分咲きと聞いていたのですが、
行ってみると、
平均で2、3分咲きで、
木や枝によっては、
5分咲きのものもあり、
春の柔らかな日差しを浴びて、
とっても綺麗でした。
やわらかな桜の絨毯が、
幾重にも続いています。

お天気がよかったおかげで、
花の合間に青空がのぞいて、
美しいコントラストを見せていました。

いつ見ても、
やはり桜には、心動かされます。
この場所は、
中学生のころから、
悲しいことや辛いこと、
うれしいことががあった時、
よく一人で訪れる
私にとってかけがえのない大切な場所です。
桜を見ていたら、
いろんなことを思い出し、
またこれからのことも頭をよぎります。
今年も、この桜を見ながら、
物思いにふけってしまいました。
多くの方々に、
幸せな花が咲きますように・・・
昨日、お天気がよかったので、
お気に入りの桜並木を見に行ってきました。
1分咲きと聞いていたのですが、
行ってみると、
平均で2、3分咲きで、
木や枝によっては、
5分咲きのものもあり、
春の柔らかな日差しを浴びて、
とっても綺麗でした。
やわらかな桜の絨毯が、
幾重にも続いています。
お天気がよかったおかげで、
花の合間に青空がのぞいて、
美しいコントラストを見せていました。
いつ見ても、
やはり桜には、心動かされます。
この場所は、
中学生のころから、
悲しいことや辛いこと、
うれしいことががあった時、
よく一人で訪れる
私にとってかけがえのない大切な場所です。
桜を見ていたら、
いろんなことを思い出し、
またこれからのことも頭をよぎります。
今年も、この桜を見ながら、
物思いにふけってしまいました。
多くの方々に、
幸せな花が咲きますように・・・
タグ :桜
2008年03月07日
江戸名物
東京小旅行の最後を飾るのは、
やっぱり、江戸ならではの食でしょう(笑)

こちらは、
ねぎま鍋。
ネギとマグロのお鍋です。
初めて食べましたが、
その美味しいこと。
まったく魚の臭みはなく、
むしろ、やわらかいお肉をいただいているような感じで、
体が温まりました。

江戸といえば、
江戸前寿司も欠かせません。
今回は、築地市場でいただきました。
築地は、取引高が日本一の中央卸売市場です。
特に、マグロの取引が多く、
全国から一番いい品が入ってきます。
市場の中にあるお寿司屋さんだけあって、
ネタが新鮮で、
どれもまったく臭みがなくて、
とってもおいしかったです。
そのかわり、
入店まで、50分並んで待ちました(苦笑)

そして最後は、
お団子です。
JR日暮里駅の近くでいただきました。
香ばしく焼いて醤油をつけたものと、
あんでくるんだものと、
いずれもたまらなく美味しくて、
至福のひと時でした。
今回もかけ足の東京小旅行でしたが、
とっても充実していました。
本当に楽しく過ごせました。
また機会を見つけて、
ぜひ訪れたいです。
やっぱり、江戸ならではの食でしょう(笑)
こちらは、
ねぎま鍋。
ネギとマグロのお鍋です。
初めて食べましたが、
その美味しいこと。
まったく魚の臭みはなく、
むしろ、やわらかいお肉をいただいているような感じで、
体が温まりました。
江戸といえば、
江戸前寿司も欠かせません。
今回は、築地市場でいただきました。
築地は、取引高が日本一の中央卸売市場です。
特に、マグロの取引が多く、
全国から一番いい品が入ってきます。
市場の中にあるお寿司屋さんだけあって、
ネタが新鮮で、
どれもまったく臭みがなくて、
とってもおいしかったです。
そのかわり、
入店まで、50分並んで待ちました(苦笑)
そして最後は、
お団子です。
JR日暮里駅の近くでいただきました。
香ばしく焼いて醤油をつけたものと、
あんでくるんだものと、
いずれもたまらなく美味しくて、
至福のひと時でした。
今回もかけ足の東京小旅行でしたが、
とっても充実していました。
本当に楽しく過ごせました。
また機会を見つけて、
ぜひ訪れたいです。
2008年03月06日
谷中墓地
東京小旅行の続きです。
最後に、
谷中墓地を訪れました。
お墓参りではありません。
ここには、
いろんな著名人のお墓があるのです。

谷中墓地は、
明治7年に、当時の東京府が開設しました。
この中で、一番有名なお墓は、
こちらでしょうか。
江戸幕府最後の将軍、
徳川慶喜のお墓です。

周囲は塀に囲まれて、
入口にはこの通り、
門に葵の家紋がついていました。

こちらは、
日本画家、横山大観のお墓。
写真は撮りませんでしたが、
お隣は、政治家の故・鳩山一郎のお墓でした。

こちらも、
日本画家、鏑木清方のお墓です。

映画俳優、長谷川一夫のお墓もありました。

また、墓地の中央付近には、
幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなり、
昭和32年に放火によって焼失した
天王寺五重塔跡もありました。
ほかにも、
作家の円地文子さんや、歌人の佐々木信綱さん、
実業家の澁澤栄一のお墓など、
数々の著名人のお墓がありました。
そうしたお墓を見学に訪れる観光客もいて、
ちょっと驚きました。
最後に、
谷中墓地を訪れました。
お墓参りではありません。
ここには、
いろんな著名人のお墓があるのです。
谷中墓地は、
明治7年に、当時の東京府が開設しました。
この中で、一番有名なお墓は、
こちらでしょうか。
江戸幕府最後の将軍、
徳川慶喜のお墓です。
周囲は塀に囲まれて、
入口にはこの通り、
門に葵の家紋がついていました。
こちらは、
日本画家、横山大観のお墓。
写真は撮りませんでしたが、
お隣は、政治家の故・鳩山一郎のお墓でした。
こちらも、
日本画家、鏑木清方のお墓です。
映画俳優、長谷川一夫のお墓もありました。
また、墓地の中央付近には、
幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなり、
昭和32年に放火によって焼失した
天王寺五重塔跡もありました。
ほかにも、
作家の円地文子さんや、歌人の佐々木信綱さん、
実業家の澁澤栄一のお墓など、
数々の著名人のお墓がありました。
そうしたお墓を見学に訪れる観光客もいて、
ちょっと驚きました。
タグ :谷中墓地
2008年03月05日
鴎外記念室
東京小旅行の続きです。
千駄木にある本郷図書館鴎外記念室を訪れました。

ここにはかつて、森鴎外が明治25年から大正11年7月9日60歳で亡くなるまで、
30年間住んでいた邸宅、観潮楼があったそうです。

今は、もうその邸宅はないのですが、
庭には、当時のものが残っていました。
この石もその一つです。

この写真、ご覧になった方もおられるでしょう。
写真の左端に写っている鴎外が座っているのが、
この三人冗語の石です。

鴎外記念室の近くには、
鴎外が住んだ後、夏目漱石も住んで「吾輩は猫である」を執筆した
「猫の家」という家もありました。
現在は、日本医科大学の一施設になっていますが、
跡地には石碑がありました。
ちなみに、この題字は、
川端康成だそうです。
この辺りは、
ほかにも高村光太郎や幸田露伴、北原白秋なども、
住んでいたようです。
東京の中に、こんなところがあるとは、
知りませんでした。
千駄木にある本郷図書館鴎外記念室を訪れました。
ここにはかつて、森鴎外が明治25年から大正11年7月9日60歳で亡くなるまで、
30年間住んでいた邸宅、観潮楼があったそうです。
今は、もうその邸宅はないのですが、
庭には、当時のものが残っていました。
この石もその一つです。
この写真、ご覧になった方もおられるでしょう。
写真の左端に写っている鴎外が座っているのが、
この三人冗語の石です。
鴎外記念室の近くには、
鴎外が住んだ後、夏目漱石も住んで「吾輩は猫である」を執筆した
「猫の家」という家もありました。
現在は、日本医科大学の一施設になっていますが、
跡地には石碑がありました。
ちなみに、この題字は、
川端康成だそうです。
この辺りは、
ほかにも高村光太郎や幸田露伴、北原白秋なども、
住んでいたようです。
東京の中に、こんなところがあるとは、
知りませんでした。
2008年03月04日
湯島天神
東京小旅行の続きです。

湯島天神を訪れました。
上野公園や東大の近くにあります。
東京では梅の名所の一つで、
現在梅祭りが開催中とあり、
たくさんの人で賑わっていました。

初めて訪れましたが、
さすが、菅原道真をおまつりしているだけあって、
たくさんの絵馬が奉納されていました。

そんな絵馬の中に、
これを見つけました。
滋賀から、修学旅行で訪れているんですね。

湯島天神は、
泉鏡花の小説「婦系図」の舞台にもなっています。

本殿には、盆梅が奉納されていました。
ちょうど、結婚式も執り行われていて、
美しい白無垢姿の新婦と袴姿の新郎の姿も見えました。

ただ、梅の見ごろには、
まだ早い感じでした。
平均すれば、
3分咲きぐらいでしょうか。
やはり、今年は2月が寒かったせいで、
開花が遅れているようです。
湯島天神を訪れました。
上野公園や東大の近くにあります。
東京では梅の名所の一つで、
現在梅祭りが開催中とあり、
たくさんの人で賑わっていました。
初めて訪れましたが、
さすが、菅原道真をおまつりしているだけあって、
たくさんの絵馬が奉納されていました。
そんな絵馬の中に、
これを見つけました。
滋賀から、修学旅行で訪れているんですね。
湯島天神は、
泉鏡花の小説「婦系図」の舞台にもなっています。
本殿には、盆梅が奉納されていました。
ちょうど、結婚式も執り行われていて、
美しい白無垢姿の新婦と袴姿の新郎の姿も見えました。
ただ、梅の見ごろには、
まだ早い感じでした。
平均すれば、
3分咲きぐらいでしょうか。
やはり、今年は2月が寒かったせいで、
開花が遅れているようです。
2008年03月03日
東京タワー
再度、東京タワーをご紹介させてください。

次の日、
もう一度東京タワーを眺めました。
まだ、朝も比較的早い時間。
なんとなく、
地上付近がほんのり赤く、
もやがかかっていて、
まだ東京タワーも眠そうな感じです。

ですが、
昼ごろになると、
この通り。
快晴の空に映えて、
東京タワーもキリリとして見えます。
東京タワーは、
以前は、さほど関心がなかったのですが、
やはり、こう見ると、
とても絵になりますね。
建築物として、
造形美を感じます。

次の日、
もう一度東京タワーを眺めました。
まだ、朝も比較的早い時間。
なんとなく、
地上付近がほんのり赤く、
もやがかかっていて、
まだ東京タワーも眠そうな感じです。
ですが、
昼ごろになると、
この通り。
快晴の空に映えて、
東京タワーもキリリとして見えます。
東京タワーは、
以前は、さほど関心がなかったのですが、
やはり、こう見ると、
とても絵になりますね。
建築物として、
造形美を感じます。
タグ :東京タワー
2008年03月02日
トワイライトタワー
東京小旅行の続きです。

東京に到着して、
まず目にしたのは、
みなさんよくご存じの東京タワー。
夕暮れ時だったこともあり、
地上にかすかに残る夕焼けと、
ライトアップされたタワーと、
空から降りてくる夜の帳が、
見事なコントラストで、
とても素晴らしかったです。
小説のおかげで、
最近、また東京名所としての人気度がアップしているそうですが、
今回は、登りませんでした。
でも、美しい夕暮れ時の東京タワーに出会えて、
とても感激しました。

東京に到着して、
まず目にしたのは、
みなさんよくご存じの東京タワー。
夕暮れ時だったこともあり、
地上にかすかに残る夕焼けと、
ライトアップされたタワーと、
空から降りてくる夜の帳が、
見事なコントラストで、
とても素晴らしかったです。
小説のおかげで、
最近、また東京名所としての人気度がアップしているそうですが、
今回は、登りませんでした。
でも、美しい夕暮れ時の東京タワーに出会えて、
とても感激しました。
タグ :東京タワー
2007年11月04日
近江源氏先陣館
ちょっと風景とは関係がありませんが、
滋賀と関係のあることですので、
お許し願いましょう。
昨日、大阪で文楽を見てきました。
みなさん、文楽はご存じでしょうか?
人形、三味線、そして太夫からなる
日本の伝統芸能の一つです。
昨日から始まった11月公演では、
近江ゆかりの演目「近江源氏先陣館」が上演されています。

主人公は、
平安末期から鎌倉時代にかけて、
近江を地盤とした武士一族佐々木家の兄弟の物語。
佐々木家の四兄弟は、
挙兵した源頼朝について一緒に戦ったのですが、
その後、二代将軍朝家と北条時政が争った時、
三男盛綱と四男高綱は、
それぞれ時政側と鎌倉側とに分かれて戦います。
盛綱、高綱にはそれぞれ小三郎と小四郎という息子がいて、
息子たちの初陣の合戦で、
盛綱の息子小三郎が、高綱の息子小四郎を捕らえます。
盛綱にとっては、
手柄をあげたのは自分の息子、
でも、捕らえられたのは自分の甥。
敵味方に分かれていながらも、
弟高綱の心情をも思いやり、
思い悩むのですが・・・
初めて拝見しましたが、
とても素晴らしかったです。
合戦の場面はなく、
肉親の情、主君への忠義など、
盛綱、高綱、盛綱と高綱の母、盛綱と高綱のそれぞれの妻の立場で、
心理的な葛藤が存分に描かれ、
涙を誘います。
最後は、どんでん返しがあり、
「はあ、なるほど!」と思いました。
また、
滋賀もしっかり描きこまれていました。
「その源は近江路の比叡山 颪(おろし)隔てられ 便り堅田の雁絶えて
武士の義は石山や 月の弓張り矢叫びの 矢橋の帰帆陣幕も
ひらめく比良の陣館・・・」で始まり、
最後は、
「浮き事三井の暮れの鐘 消えゆく子より親心 我唐崎の夜の雨 父には一目粟津の嵐
木の葉の紅葉かき寄せて夕べを照らす瀬田の橋・・・」と、
しっかりと滋賀の地名や近江八景が詠みこまれていました。
もし機会があれば、
ぜひご覧ください。
滋賀と関係のあることですので、
お許し願いましょう。
昨日、大阪で文楽を見てきました。
みなさん、文楽はご存じでしょうか?
人形、三味線、そして太夫からなる
日本の伝統芸能の一つです。
昨日から始まった11月公演では、
近江ゆかりの演目「近江源氏先陣館」が上演されています。

主人公は、
平安末期から鎌倉時代にかけて、
近江を地盤とした武士一族佐々木家の兄弟の物語。
佐々木家の四兄弟は、
挙兵した源頼朝について一緒に戦ったのですが、
その後、二代将軍朝家と北条時政が争った時、
三男盛綱と四男高綱は、
それぞれ時政側と鎌倉側とに分かれて戦います。
盛綱、高綱にはそれぞれ小三郎と小四郎という息子がいて、
息子たちの初陣の合戦で、
盛綱の息子小三郎が、高綱の息子小四郎を捕らえます。
盛綱にとっては、
手柄をあげたのは自分の息子、
でも、捕らえられたのは自分の甥。
敵味方に分かれていながらも、
弟高綱の心情をも思いやり、
思い悩むのですが・・・
初めて拝見しましたが、
とても素晴らしかったです。
合戦の場面はなく、
肉親の情、主君への忠義など、
盛綱、高綱、盛綱と高綱の母、盛綱と高綱のそれぞれの妻の立場で、
心理的な葛藤が存分に描かれ、
涙を誘います。
最後は、どんでん返しがあり、
「はあ、なるほど!」と思いました。
また、
滋賀もしっかり描きこまれていました。
「その源は近江路の比叡山 颪(おろし)隔てられ 便り堅田の雁絶えて
武士の義は石山や 月の弓張り矢叫びの 矢橋の帰帆陣幕も
ひらめく比良の陣館・・・」で始まり、
最後は、
「浮き事三井の暮れの鐘 消えゆく子より親心 我唐崎の夜の雨 父には一目粟津の嵐
木の葉の紅葉かき寄せて夕べを照らす瀬田の橋・・・」と、
しっかりと滋賀の地名や近江八景が詠みこまれていました。
もし機会があれば、
ぜひご覧ください。
2007年10月22日
長崎旅行 おまけ編
長崎旅行は一応終了したのですが、
おまけを一つ。
今回の旅行は、
往復、飛行機を使いました。
その飛行機の中から撮った風景をご紹介しましょう。

伊丹空港を飛び立って、
すぐに目に飛び込んできたのは、
神戸の街。
山から海まで、
びっしりと建物で埋め尽くされています。
左下あたりは、
ポートアイランドなどの人工島も見えます。

こちらも神戸上空ですが、
左端に、神戸空港が見えます。

飛行機は、瀬戸内海に沿って西へ向かいました。
こちらは、広島市上空だと思います。
川の本数、形でわかります。
以前、広島に出張して、
市街地の地図を見せてもらったことがあります。
こうしてみると、
まったくその時に見たのと同じで、
まるで日本地図の上を飛んでいるようでした。

行きは、ほとんど雲がなかったのですが、
時々、こうした美しい雲も見られました。

どこまでも青い空の中を飛んでいくのは、
本当に気持ちいいですね。

こちらは帰りの風景。
残念ながら、
雲が多くて、
地上は見られませんでした。
私は飛行機が大好きで
こうした飛行機から見える風景に、
いつも釘づけになってしまいます。
また、空の旅を味わいたいです。
おまけを一つ。
今回の旅行は、
往復、飛行機を使いました。
その飛行機の中から撮った風景をご紹介しましょう。
伊丹空港を飛び立って、
すぐに目に飛び込んできたのは、
神戸の街。
山から海まで、
びっしりと建物で埋め尽くされています。
左下あたりは、
ポートアイランドなどの人工島も見えます。

こちらも神戸上空ですが、
左端に、神戸空港が見えます。
飛行機は、瀬戸内海に沿って西へ向かいました。
こちらは、広島市上空だと思います。
川の本数、形でわかります。
以前、広島に出張して、
市街地の地図を見せてもらったことがあります。
こうしてみると、
まったくその時に見たのと同じで、
まるで日本地図の上を飛んでいるようでした。
行きは、ほとんど雲がなかったのですが、
時々、こうした美しい雲も見られました。
どこまでも青い空の中を飛んでいくのは、
本当に気持ちいいですね。
こちらは帰りの風景。
残念ながら、
雲が多くて、
地上は見られませんでした。
私は飛行機が大好きで
こうした飛行機から見える風景に、
いつも釘づけになってしまいます。
また、空の旅を味わいたいです。
2007年10月21日
長崎旅行 料理編
長崎旅行も、
いよいよ最後です。
旅の楽しみの一つとして、
欠かせないのが食事。
そう。
長崎といえば、
やはり、中華でしょう。
長崎には中華街があり、
横浜、神戸とあわせて、
日本三大中華街に数えられています。

長崎についた日の夜、
中華街の有名店で
友人に中華料理のコースをごちそうになりました。
こちらは前菜。
キクラゲやバンバンジー
バナナの天ぷらがありました。

こちらは、
鳥の甘酢炒め。

エビチリならぬ、
海老のマヨネーズ炒め。

こちらは、言わずと知れた春巻き。
うっかり食べてしまって、
一つしかありませんが、
普通の春巻きより、
一回り大きなサイズです。

カニの卵とじ。
残念ながら、
このころには、
かなりお腹がいっぱいになっていました。

そして、
長崎らしいのが、
この豚の角煮まんじゅう。
美味しくて、
大好きです。

このように、
白い皮のまんじゅうに挟んで食べます。

次に出てきたのが、
ごま団子。
でも、サイズが大きいです。
野球ボールぐらいあるでしょうか。
指をさしているのは、
この中に一つだけ、
中身があんではなく、
クリームが入っているものがあるのです。
さて、どれでしょう?(笑)

そして、
長崎といえば
これ、皿うどんです。
この日は、細い麺を油で揚げたパリパリ麺でしたが、
長崎の人は、わりと太麺を食べる人が多いです。
私の家でも、長崎に住んでいた時は、
父親が太麺派だったので、
あまりパリパリ麺は食べていませんでした。
美味しかったのですが、
もう、お腹がいっぱいで、
残念ながら全部食べきれませんでした・・・

こちらは、
最終日のお昼、
長崎駅近くの店で食べたちゃんぽんです。
長崎といえば、
皿うどんと並んで、
このちゃんぽんを思い出す人が多いでしょう。

こちらもちゃんぽんですが、
スペシャルです(笑)
小さい頃は、
あまりちゃんぽんは好きではありませんでしたが、
大人になって、
その美味しさがわかりました。
ほかにも、
私の大好物で、
父親が飲んで遅くなったときの定番土産だった
桃太呂の肉まんも食べたのですが、
あまりに美味しくて、
写真を撮るのを忘れてしまいました・・・(苦笑)
お土産には、
ちゃんぽん、カステラ、
そして魚の干物、蒲鉾などを買いました。
長崎は、実は北海道に次ぐ
全国第二位の魚介類の水揚げ高を誇ります。
食文化にも、色濃く異国情緒が漂い、
魚が美味しい町なのです。
本当に、
お墓参り、おくんち、夜景、中華料理と、
盛りだくさんの充実した旅行でした。
わがままをきいて、
いろいろ協力してくれた友人に、
そして、天気予報は雨だったにもかかわらず、
旅行中、好天を恵んでくれた天国の祖父母に、
心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
いよいよ最後です。
旅の楽しみの一つとして、
欠かせないのが食事。
そう。
長崎といえば、
やはり、中華でしょう。
長崎には中華街があり、
横浜、神戸とあわせて、
日本三大中華街に数えられています。
長崎についた日の夜、
中華街の有名店で
友人に中華料理のコースをごちそうになりました。
こちらは前菜。
キクラゲやバンバンジー
バナナの天ぷらがありました。

こちらは、
鳥の甘酢炒め。

エビチリならぬ、
海老のマヨネーズ炒め。

こちらは、言わずと知れた春巻き。
うっかり食べてしまって、
一つしかありませんが、
普通の春巻きより、
一回り大きなサイズです。

カニの卵とじ。
残念ながら、
このころには、
かなりお腹がいっぱいになっていました。
そして、
長崎らしいのが、
この豚の角煮まんじゅう。
美味しくて、
大好きです。
このように、
白い皮のまんじゅうに挟んで食べます。

次に出てきたのが、
ごま団子。
でも、サイズが大きいです。
野球ボールぐらいあるでしょうか。
指をさしているのは、
この中に一つだけ、
中身があんではなく、
クリームが入っているものがあるのです。
さて、どれでしょう?(笑)
そして、
長崎といえば
これ、皿うどんです。
この日は、細い麺を油で揚げたパリパリ麺でしたが、
長崎の人は、わりと太麺を食べる人が多いです。
私の家でも、長崎に住んでいた時は、
父親が太麺派だったので、
あまりパリパリ麺は食べていませんでした。
美味しかったのですが、
もう、お腹がいっぱいで、
残念ながら全部食べきれませんでした・・・
こちらは、
最終日のお昼、
長崎駅近くの店で食べたちゃんぽんです。
長崎といえば、
皿うどんと並んで、
このちゃんぽんを思い出す人が多いでしょう。
こちらもちゃんぽんですが、
スペシャルです(笑)
小さい頃は、
あまりちゃんぽんは好きではありませんでしたが、
大人になって、
その美味しさがわかりました。
ほかにも、
私の大好物で、
父親が飲んで遅くなったときの定番土産だった
桃太呂の肉まんも食べたのですが、
あまりに美味しくて、
写真を撮るのを忘れてしまいました・・・(苦笑)
お土産には、
ちゃんぽん、カステラ、
そして魚の干物、蒲鉾などを買いました。
長崎は、実は北海道に次ぐ
全国第二位の魚介類の水揚げ高を誇ります。
食文化にも、色濃く異国情緒が漂い、
魚が美味しい町なのです。
本当に、
お墓参り、おくんち、夜景、中華料理と、
盛りだくさんの充実した旅行でした。
わがままをきいて、
いろいろ協力してくれた友人に、
そして、天気予報は雨だったにもかかわらず、
旅行中、好天を恵んでくれた天国の祖父母に、
心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
2007年10月20日
長崎旅行 夜景編
長崎旅行もそろそろ終わりに近づいてきました。
でも、長崎で忘れてならないものがあります。

ここは、
JR長崎駅前の路面電車の停車場。
車の通りや、店の明かりなどで、
都会的な雰囲気です。

こちらは、
出島の中にある洋館。
左側は教会のようです。

こちらも、出島の洋館屋敷。
緑と白の色合いが美しいです。

こちらは、大波止のお旅所。
まだ、諏訪神社からの御神輿が来ていないのですが、
提灯が掲げられています。

こちらは、
その大波止近くの港湾沿いに設けられた商業施設。
ほとんど飲食店ですが、
夜でもたくさんの若者らでにぎわっていました。
大津のなぎさ公園沿いにも、
こういう施設があればいいのにと思いました。

湾沿いの商業施設から見た
桟橋の風景。
遠くには、稲佐山の中腹に建てられたホテルの明かりも見えます。

そして、
これがその稲佐山の山頂から見た、
長崎市内の夜景。
真ん中は、長崎駅あたりでしょうか。
長崎は、
実は夜景が美しい町です。
神戸、函館と並んで、
日本三大夜景の一つと言われています。

こちらは、
稲佐山と反対側の山から見た夜景。
おわかりの通り、
長崎は、湾を山が囲んでおり、
その地形が、
立体的な独特な夜景を作り出しているのです。

長崎湾の入り口方面の夜景。
手前のひときわ明るいところが、
JR長崎駅です。
左の青い点が一列に並んでいるのは、
最近できた女神大橋です。

そして、
これがその女神大橋のライトアップ。
白い橋脚が美しいです。
とても美しい夜景を堪能できて、
本当に幸せでした。
これも、私の中学時代からの友人のおかげです。
彼女には、旅行中、
いろいろお世話になりました。
この場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。
でも、長崎で忘れてならないものがあります。

ここは、
JR長崎駅前の路面電車の停車場。
車の通りや、店の明かりなどで、
都会的な雰囲気です。
こちらは、
出島の中にある洋館。
左側は教会のようです。
こちらも、出島の洋館屋敷。
緑と白の色合いが美しいです。
こちらは、大波止のお旅所。
まだ、諏訪神社からの御神輿が来ていないのですが、
提灯が掲げられています。
こちらは、
その大波止近くの港湾沿いに設けられた商業施設。
ほとんど飲食店ですが、
夜でもたくさんの若者らでにぎわっていました。
大津のなぎさ公園沿いにも、
こういう施設があればいいのにと思いました。
湾沿いの商業施設から見た
桟橋の風景。
遠くには、稲佐山の中腹に建てられたホテルの明かりも見えます。
そして、
これがその稲佐山の山頂から見た、
長崎市内の夜景。
真ん中は、長崎駅あたりでしょうか。
長崎は、
実は夜景が美しい町です。
神戸、函館と並んで、
日本三大夜景の一つと言われています。
こちらは、
稲佐山と反対側の山から見た夜景。
おわかりの通り、
長崎は、湾を山が囲んでおり、
その地形が、
立体的な独特な夜景を作り出しているのです。
長崎湾の入り口方面の夜景。
手前のひときわ明るいところが、
JR長崎駅です。
左の青い点が一列に並んでいるのは、
最近できた女神大橋です。
そして、
これがその女神大橋のライトアップ。
白い橋脚が美しいです。
とても美しい夜景を堪能できて、
本当に幸せでした。
これも、私の中学時代からの友人のおかげです。
彼女には、旅行中、
いろいろお世話になりました。
この場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。
2007年10月19日
長崎旅行 軍艦島編
さらに長崎旅行を続けましょう。
3日目の8日。
午前中に、軍艦島クルーズをしました。
軍艦島をご存じでしょうか。
正式名は端島といい、
かつて、炭鉱があった島です。
最盛期には5000人もの人が住んでいましたが、
昭和49(1974)年4月15日に炭鉱が閉山され、
その5日後には、全島民が退去して、
以来、今は無人島となっています。

江戸時代の1810年に漁民によって炭鉱が発見され、
明治23年に三菱が島を買い取って、
炭鉱の島として開発しました。
島は狭いので、たくさんの高層アパートが建設され、
その中には、日本初の鉄筋コンクリートマンションもあります。
その外観が軍艦に似ているので、
軍艦島と呼ばれるようになったそうです。

長崎港を出港して、
最初に目に飛び込んできたのは、
この船。
天然ガスを運ぶ船です。

長崎は、造船の町です。
ここは三菱重工業長崎造船所の立神工場。
戦艦大和の兄弟船、
戦艦武蔵は、ここで建造されたそうです。
この灰色の船は、
自衛隊のイージス艦だそうです。
右が足柄、左が鳥海。
たぶん、山の名前から取っているのだと思います。

こちらは、
長崎港の出入り口にかかる女神大橋。
かけられたのは、
1年ほど前だそうです。

この小さな島は、
高鉾島。
バテレンの島ともいわれ、
キリシタンが多く住んだ神ノ島という地域の近くにある島で、
江戸時代には、
キリシタンが処刑されたりしたそうです。

こちらは、
同じく長崎造船所の香焼工場。
ドックの長さは約980メートル、
二つのクレーンは、
それぞれ600キロまで牽引できるそうです。
そうしたところから、
100万トンドックと呼ばれているそうです。

こちらは、高島。
この島も、
かつては炭鉱でした。
今は、リゾート開発されているようです。

軍艦島に近づいてきました。
その前に、
高島と軍艦島の間にあるのが、
中の島。
ここも、明治時代にわずか10年ほど、
炭鉱が掘られていたそうです。
その後は、
狭くて土地がなかった軍艦島の住人たちのお墓がつくられたそうです。

そして、いよいよ見えてきました。
これが軍艦島。
島の上に、
たくさんの建物がひしめいているのが、
見えるでしょうか。

ここは、
船でいえば、「船尾」にあたる部分。
手前右側の小さい建物は病院。
その後ろ建物は、
島唯一の小中学校で、
その裏には体育館があったそうですが、
この島が閉島の前後にできて、
一度も使われず、
しかも、まっさきに倒壊したそうです。
後ろ左の建物は、
65号棟で、炭鉱の鉱員さんたちが住んでいて、
幼稚園もあったそうです。

これが、軍艦島の全貌。
陸側ではなく、
沖側から見たこの風景が、
最も軍艦らしく見えるそうです。

こちらは、船の前方左舷。
いくつも窓が並んでいる左の建物が、
大正5年、日本で初めて建てられた
鉄筋コンクリート造の7階建てマンション。
右側の岩場が、
もともとの島の形で、
右は貯水槽、
その隣の灯台は、
閉島後に造られたそうです。

写真がちょっとぶれていますが、
島の中央部。
岩場の上に立つ建物(右)は、
三菱の幹部社員の住宅だったそうです。
海沿いの護岸にある左の丸い構造物は、
一般の船の船着場で、
切れ込みのところに、
船の船首をつけて、
乗り降りしていたようで、
波が荒い時には大変だったようです。
右側の小さな鳥居型の構造物は、
炭鉱船の桟橋だったそうです。

小さい頃、
海水浴に行った時などに、
この島をよく見かけました。
でも、歴史についてはあまり知りませんでした。
幸い、このクルーズには、
かつてこの島に住み、
現在は、軍艦島を世界遺産にする会の代表の方が乗船しておられ、
いろいろと解説をしてくださいました。
私も、この軍艦島が、
近代の産業遺産として、
再び脚光を浴びる日が来てほしいと願っています。
3日目の8日。
午前中に、軍艦島クルーズをしました。
軍艦島をご存じでしょうか。
正式名は端島といい、
かつて、炭鉱があった島です。
最盛期には5000人もの人が住んでいましたが、
昭和49(1974)年4月15日に炭鉱が閉山され、
その5日後には、全島民が退去して、
以来、今は無人島となっています。
江戸時代の1810年に漁民によって炭鉱が発見され、
明治23年に三菱が島を買い取って、
炭鉱の島として開発しました。
島は狭いので、たくさんの高層アパートが建設され、
その中には、日本初の鉄筋コンクリートマンションもあります。
その外観が軍艦に似ているので、
軍艦島と呼ばれるようになったそうです。
長崎港を出港して、
最初に目に飛び込んできたのは、
この船。
天然ガスを運ぶ船です。
長崎は、造船の町です。
ここは三菱重工業長崎造船所の立神工場。
戦艦大和の兄弟船、
戦艦武蔵は、ここで建造されたそうです。
この灰色の船は、
自衛隊のイージス艦だそうです。
右が足柄、左が鳥海。
たぶん、山の名前から取っているのだと思います。
こちらは、
長崎港の出入り口にかかる女神大橋。
かけられたのは、
1年ほど前だそうです。
この小さな島は、
高鉾島。
バテレンの島ともいわれ、
キリシタンが多く住んだ神ノ島という地域の近くにある島で、
江戸時代には、
キリシタンが処刑されたりしたそうです。
こちらは、
同じく長崎造船所の香焼工場。
ドックの長さは約980メートル、
二つのクレーンは、
それぞれ600キロまで牽引できるそうです。
そうしたところから、
100万トンドックと呼ばれているそうです。
こちらは、高島。
この島も、
かつては炭鉱でした。
今は、リゾート開発されているようです。
軍艦島に近づいてきました。
その前に、
高島と軍艦島の間にあるのが、
中の島。
ここも、明治時代にわずか10年ほど、
炭鉱が掘られていたそうです。
その後は、
狭くて土地がなかった軍艦島の住人たちのお墓がつくられたそうです。
そして、いよいよ見えてきました。
これが軍艦島。
島の上に、
たくさんの建物がひしめいているのが、
見えるでしょうか。
ここは、
船でいえば、「船尾」にあたる部分。
手前右側の小さい建物は病院。
その後ろ建物は、
島唯一の小中学校で、
その裏には体育館があったそうですが、
この島が閉島の前後にできて、
一度も使われず、
しかも、まっさきに倒壊したそうです。
後ろ左の建物は、
65号棟で、炭鉱の鉱員さんたちが住んでいて、
幼稚園もあったそうです。
これが、軍艦島の全貌。
陸側ではなく、
沖側から見たこの風景が、
最も軍艦らしく見えるそうです。
こちらは、船の前方左舷。
いくつも窓が並んでいる左の建物が、
大正5年、日本で初めて建てられた
鉄筋コンクリート造の7階建てマンション。
右側の岩場が、
もともとの島の形で、
右は貯水槽、
その隣の灯台は、
閉島後に造られたそうです。
写真がちょっとぶれていますが、
島の中央部。
岩場の上に立つ建物(右)は、
三菱の幹部社員の住宅だったそうです。
海沿いの護岸にある左の丸い構造物は、
一般の船の船着場で、
切れ込みのところに、
船の船首をつけて、
乗り降りしていたようで、
波が荒い時には大変だったようです。
右側の小さな鳥居型の構造物は、
炭鉱船の桟橋だったそうです。
小さい頃、
海水浴に行った時などに、
この島をよく見かけました。
でも、歴史についてはあまり知りませんでした。
幸い、このクルーズには、
かつてこの島に住み、
現在は、軍艦島を世界遺産にする会の代表の方が乗船しておられ、
いろいろと解説をしてくださいました。
私も、この軍艦島が、
近代の産業遺産として、
再び脚光を浴びる日が来てほしいと願っています。
タグ :軍艦島
2007年10月18日
長崎旅行 出島編
おくんち編は終わりましたが、
もう少し、長崎旅行を続けさせてください。

「出島」をご存じでしょうか?
鎖国をしていた江戸時代、
日本で唯一、海外へ開かれていた窓口であり、
貿易拠点でした。
長崎では、この出島の復元にとりくんでいるようです。
こちらは、昨年3月に復元された
出島内にあった建物5棟のうちの一つで、
オランダの商館長(カピタン)が住んでいた建物です。

こちらは、
商館員たちの事務室。
日本人の役人たちとの面会や、
商談もここで行われていたそうです。
畳にテーブル、椅子というのが、
いかにも和洋折衷です。

こちらは食堂。
クリスマスの料理が飾られています。
とっても素敵な部屋です。
私もこんなところに住みたいです(苦笑)

こちらは、
一番船船頭部屋という建物の、
オランダ船船長の部屋。
船員たちは、長崎港に入港後も、
船で暮らしたそうですが、
船長さんは、部屋をもらっていたようです。

見ていて特徴的だったのは、
外観もさることながら、
内装もとてもおしゃれでした。
この通り、壁紙は、
独特の模様で、
日本風のようでどこか西洋風で、
言われてみれば中国風のような、
そんな不思議な模様の壁紙でした。

出島には、
当時の出島を再現した模型もあります。
私が小さいころは、
出島といえば、
この模型ぐらいしかないところで、
あまり面白くないという印象でした。
ですが、
かなりの建物が復元されていて、
本当に興味深かったです。
ちょっと時間がなくて、
なかなかじっくりとは見られませんでしたが、
次回は、もう少ししっかり見学したいです。
もう少し、長崎旅行を続けさせてください。
「出島」をご存じでしょうか?
鎖国をしていた江戸時代、
日本で唯一、海外へ開かれていた窓口であり、
貿易拠点でした。
長崎では、この出島の復元にとりくんでいるようです。
こちらは、昨年3月に復元された
出島内にあった建物5棟のうちの一つで、
オランダの商館長(カピタン)が住んでいた建物です。
こちらは、
商館員たちの事務室。
日本人の役人たちとの面会や、
商談もここで行われていたそうです。
畳にテーブル、椅子というのが、
いかにも和洋折衷です。
こちらは食堂。
クリスマスの料理が飾られています。
とっても素敵な部屋です。
私もこんなところに住みたいです(苦笑)
こちらは、
一番船船頭部屋という建物の、
オランダ船船長の部屋。
船員たちは、長崎港に入港後も、
船で暮らしたそうですが、
船長さんは、部屋をもらっていたようです。

見ていて特徴的だったのは、
外観もさることながら、
内装もとてもおしゃれでした。
この通り、壁紙は、
独特の模様で、
日本風のようでどこか西洋風で、
言われてみれば中国風のような、
そんな不思議な模様の壁紙でした。

出島には、
当時の出島を再現した模型もあります。
私が小さいころは、
出島といえば、
この模型ぐらいしかないところで、
あまり面白くないという印象でした。
ですが、
かなりの建物が復元されていて、
本当に興味深かったです。
ちょっと時間がなくて、
なかなかじっくりとは見られませんでしたが、
次回は、もう少ししっかり見学したいです。
2007年10月17日
長崎旅行 おくんちその他編
長崎旅行おくんち編の最後です。
今回は、7つの踊りすべてを拝見しましました。
これまでにご紹介していないのを中心にご紹介しましょう。

こちらは、
先にお旅所ですれ違った八幡町の弓矢八幡祝い船。
とっても立派です。

こちらの船も、
前後に動かした後、
大きく回転します。
船の中に乗っている子どもたちが、
お囃子を演奏します。

そして、こちらは麹屋町の川船。
これは、踊りの前に、
漁師さんに見立てた稚児が、
船の上から網を投げて、
床に置かれた魚を捕ります。

こちらも、船が大きく回転します。
船の上に乗っているのは、
二匹の鯉。
この鯉も、
登竜門の伝説のように、
滝を登って龍になるというめでたい魚です。

こちらは、
万才町の本踊り。
これも、
おくんちのきっかけとなった、
遊女の踊りに近いかもしれません。
7つの踊りは、
すべてJR長崎駅で見たのですが、
その後、諏訪神社近くでも、
いくつかの踊りを見ました。

こちらは、
諏訪神社で奉納踊りをしている西濱町の龍船。
神社の階段いっぱいに、
観客が鈴なりです。

この龍船、そのまま石段を下りてきていました。
間近で見ると、龍の迫力が伝わります。

そして、
次の奉納踊りの場所に向かっていきました。

こちらは、
諏訪神社近くの歴史博物館の広場で出会った
五嶋町の傘鉾。
これも、とっても立派です。

傘鉾の中は、どうなっていると思いますか?
この通り、男性が一人で抱えています。
練り歩くときも、
止まっている時も、
ずっと支えておかなければなりません。
かなりの重労働ですね。
傘の内は、女人禁制でした。

そして、
出番を待つ龍・・・
こちらも、
血走っている目や、
馬のしっぽでできたたてがみなど、
とても迫力がありました。

もう、日が暮れかかったころ、
諏訪神社へと向かう麹屋町の川船にも出会いました。
夜には、船に明かりが灯って、
とても綺麗でした。
本当に、
一日中、踊りをたっぷり堪能しました。
その分、たっぷり疲れもしました・・・(苦笑)
ただ、
すべての踊りを見ようと思うと、
これから6年毎年見ないといけません。
今年は出ていませんでしたが、
他にも、阿蘭陀漫才やコッコデショ、鯨の潮吹きなど、
長崎らしい踊りがあります。
いつかは、ぜひ見たいです。
今回は、7つの踊りすべてを拝見しましました。
これまでにご紹介していないのを中心にご紹介しましょう。
こちらは、
先にお旅所ですれ違った八幡町の弓矢八幡祝い船。
とっても立派です。

こちらの船も、
前後に動かした後、
大きく回転します。
船の中に乗っている子どもたちが、
お囃子を演奏します。
そして、こちらは麹屋町の川船。
これは、踊りの前に、
漁師さんに見立てた稚児が、
船の上から網を投げて、
床に置かれた魚を捕ります。

こちらも、船が大きく回転します。
船の上に乗っているのは、
二匹の鯉。
この鯉も、
登竜門の伝説のように、
滝を登って龍になるというめでたい魚です。

こちらは、
万才町の本踊り。
これも、
おくんちのきっかけとなった、
遊女の踊りに近いかもしれません。
7つの踊りは、
すべてJR長崎駅で見たのですが、
その後、諏訪神社近くでも、
いくつかの踊りを見ました。
こちらは、
諏訪神社で奉納踊りをしている西濱町の龍船。
神社の階段いっぱいに、
観客が鈴なりです。
この龍船、そのまま石段を下りてきていました。
間近で見ると、龍の迫力が伝わります。
そして、
次の奉納踊りの場所に向かっていきました。
こちらは、
諏訪神社近くの歴史博物館の広場で出会った
五嶋町の傘鉾。
これも、とっても立派です。
傘鉾の中は、どうなっていると思いますか?
この通り、男性が一人で抱えています。
練り歩くときも、
止まっている時も、
ずっと支えておかなければなりません。
かなりの重労働ですね。
傘の内は、女人禁制でした。
そして、
出番を待つ龍・・・
こちらも、
血走っている目や、
馬のしっぽでできたたてがみなど、
とても迫力がありました。

もう、日が暮れかかったころ、
諏訪神社へと向かう麹屋町の川船にも出会いました。
夜には、船に明かりが灯って、
とても綺麗でした。
本当に、
一日中、踊りをたっぷり堪能しました。
その分、たっぷり疲れもしました・・・(苦笑)
ただ、
すべての踊りを見ようと思うと、
これから6年毎年見ないといけません。
今年は出ていませんでしたが、
他にも、阿蘭陀漫才やコッコデショ、鯨の潮吹きなど、
長崎らしい踊りがあります。
いつかは、ぜひ見たいです。
2007年10月16日
長崎旅行 龍踊り編
長崎旅行おくんち編をもう少し続けさせてください。

長崎くんちでもっともよく知られている、
そしてまた、人気が高い踊りといえば、
やはり、この龍踊り(じゃおどり)ではないでしょうか。
五嶋町は、
7年前の前回に続いて、
今年が2回目の龍踊りの披露だそうです。

龍踊りの最大の特徴であり、
最も長崎らしい踊りだと感じさせてくれるのが、
中国風のお囃子。
ご覧の通り、演奏はほとんど中高生以下の子どもたちです。

この龍踊りには3つの見せ場があります。
まず最初が、この「珠探し」。
月に見立てた金色の珠を、
龍が探しています。
龍から見ると、
珠は胴体に隠れて見えません。
ラッパの音が鳴り響き、
なかなか珠が見つからない龍の苛立ちを表現します。

そして、
笛の音を合図に、
龍は珠を見つけ、「珠追い」に入ります。
この場面は、ご覧になったことがあるでしょう。
珠を追いかけて、龍が長い胴体を
上へ下へとくねらせながら駆け抜けます。

さらに珠追いが続きます。
写真がブレていますが、
非常に動きが激しいのです。

そして、3つ目の見せ場が、
「胴くぐり」。
珠が、龍の胴体をくぐって行くと、
龍も、それを追って、
頭から胴体をくぐっていきます。

小さいころは、
この龍踊りが、一番好きでした。
このお囃子を聞くと、
思わず背筋がぞくぞくして、
楽しみでたまりませんでした。
今見ても、
やはりいいですね。
毎年この龍踊りが見られるわけではありません。
今年の踊町に龍踊りがあって、
本当によかったです。
長崎くんちでもっともよく知られている、
そしてまた、人気が高い踊りといえば、
やはり、この龍踊り(じゃおどり)ではないでしょうか。
五嶋町は、
7年前の前回に続いて、
今年が2回目の龍踊りの披露だそうです。
龍踊りの最大の特徴であり、
最も長崎らしい踊りだと感じさせてくれるのが、
中国風のお囃子。
ご覧の通り、演奏はほとんど中高生以下の子どもたちです。
この龍踊りには3つの見せ場があります。
まず最初が、この「珠探し」。
月に見立てた金色の珠を、
龍が探しています。
龍から見ると、
珠は胴体に隠れて見えません。
ラッパの音が鳴り響き、
なかなか珠が見つからない龍の苛立ちを表現します。

そして、
笛の音を合図に、
龍は珠を見つけ、「珠追い」に入ります。
この場面は、ご覧になったことがあるでしょう。
珠を追いかけて、龍が長い胴体を
上へ下へとくねらせながら駆け抜けます。
さらに珠追いが続きます。
写真がブレていますが、
非常に動きが激しいのです。
そして、3つ目の見せ場が、
「胴くぐり」。
珠が、龍の胴体をくぐって行くと、
龍も、それを追って、
頭から胴体をくぐっていきます。
小さいころは、
この龍踊りが、一番好きでした。
このお囃子を聞くと、
思わず背筋がぞくぞくして、
楽しみでたまりませんでした。
今見ても、
やはりいいですね。
毎年この龍踊りが見られるわけではありません。
今年の踊町に龍踊りがあって、
本当によかったです。
2007年10月15日
長崎旅行 鯱太鼓編
長崎旅行おくんち編を続けましょう。

こちらは、
銀屋町の鯱太鼓(しゃちだいこ)。
銀屋町は、かつて銀細工の職人が多く住んでいた町だとか。
昭和41年に町界町名変更で消滅していたのが、
今年1月、町名が復活したそうです。

まず、勇壮な太鼓の演奏。
この太鼓の音で、
鯱が目を覚まします。

太鼓の演奏が終わると、
神輿の出番です。

鯱太鼓の由来は、
この神輿に飾られている鯱から。
鯱は、海にいるシャチではなく、
天守閣に飾られている「しゃち鉾」と同じで、
空想上の生き物です。
大海から踊り上がり、
天に昇れば吉祥をよび、
龍になるという伝説があります。

重さ約750キロの神輿を、
約40人の男性が、
ぐるぐると何度も回転させます。
その逞しさに、
会場は大歓声です。

そして、ぐっと御神輿を下げて・・・

「蓬莱鯱(ほうらいこ)」の掛け声に合わせて、
この通り、空中に投げ上げます。
もちろん、会場からは割れんばかりの大きな拍手です。
踊町の踊りの中には、
担ぎもの、曳きものと呼ばれるものがありますが、
鯱太鼓はまさに、
担ぎものの代表でしょう。
54人の担ぎ手たちは、
今年1月から走り込みをして、
このおくんちに備えてきたそうです。
本当に、素晴らしかったです。
こちらは、
銀屋町の鯱太鼓(しゃちだいこ)。
銀屋町は、かつて銀細工の職人が多く住んでいた町だとか。
昭和41年に町界町名変更で消滅していたのが、
今年1月、町名が復活したそうです。

まず、勇壮な太鼓の演奏。
この太鼓の音で、
鯱が目を覚まします。

太鼓の演奏が終わると、
神輿の出番です。

鯱太鼓の由来は、
この神輿に飾られている鯱から。
鯱は、海にいるシャチではなく、
天守閣に飾られている「しゃち鉾」と同じで、
空想上の生き物です。
大海から踊り上がり、
天に昇れば吉祥をよび、
龍になるという伝説があります。

重さ約750キロの神輿を、
約40人の男性が、
ぐるぐると何度も回転させます。
その逞しさに、
会場は大歓声です。

そして、ぐっと御神輿を下げて・・・
「蓬莱鯱(ほうらいこ)」の掛け声に合わせて、
この通り、空中に投げ上げます。
もちろん、会場からは割れんばかりの大きな拍手です。
踊町の踊りの中には、
担ぎもの、曳きものと呼ばれるものがありますが、
鯱太鼓はまさに、
担ぎものの代表でしょう。
54人の担ぎ手たちは、
今年1月から走り込みをして、
このおくんちに備えてきたそうです。
本当に、素晴らしかったです。
2007年10月14日
長崎旅行 龍船編
おくんちの踊りの紹介を続けます。
今年、7つの町が踊町として踊りを奉納しましたが、
その中から、
私が気に入った3つを順次ご紹介しましょう。
今回、私が最も気に入ったのは、
実は、この龍船(じゃぶね)です。
ご存じのとおり、
龍も伝説上の生き物で、
西洋では悪とされますが、
東洋では、幸福や吉祥の象徴です。

西濱町の龍船は、
重さ約3トン。
おくんちには、
いろんな船が出ますが、
その中でも最も大きいそうです。
「ヤーハー」という掛け声で、
とても気分が高まります。

船をいったん奥まで下げると、
根曳きの男性たちが、
猛スピードで突進してきます。

そして、
観客席ぎりぎりで急ブレーキをかけてストップ。
大きな龍が近づいてきて、
スリル満点です。

そして、
こちらも大きく何度も回転させます。

途中、龍が、
こんなこともしてくれます。
この龍の白い息に触れると、
無病息災のご利益があるとか。
中国文化を色濃く受けた長崎らしい
踊りだったと思います。
本当に感激しました。
今年、7つの町が踊町として踊りを奉納しましたが、
その中から、
私が気に入った3つを順次ご紹介しましょう。
今回、私が最も気に入ったのは、
実は、この龍船(じゃぶね)です。
ご存じのとおり、
龍も伝説上の生き物で、
西洋では悪とされますが、
東洋では、幸福や吉祥の象徴です。

西濱町の龍船は、
重さ約3トン。
おくんちには、
いろんな船が出ますが、
その中でも最も大きいそうです。
「ヤーハー」という掛け声で、
とても気分が高まります。
船をいったん奥まで下げると、
根曳きの男性たちが、
猛スピードで突進してきます。
そして、
観客席ぎりぎりで急ブレーキをかけてストップ。
大きな龍が近づいてきて、
スリル満点です。
そして、
こちらも大きく何度も回転させます。
途中、龍が、
こんなこともしてくれます。
この龍の白い息に触れると、
無病息災のご利益があるとか。
中国文化を色濃く受けた長崎らしい
踊りだったと思います。
本当に感激しました。
2007年10月13日
長崎旅行 おくんち編
不定期にもかかわらず、
毎日見に来てくださる皆様、
本当にありがとうございます。
本来は、滋賀の風景をご紹介するのが筋ですが、
先日の連休に、
長崎に行って参りましたので、
皆様へのお礼の意味も込めて、
ご紹介させていただきます。
「おくんち」をご存じでしょうか。
長崎市内で一番大きな諏訪神社のお祭りで、
毎年10月7、8、9日に行われます。
江戸時代初期の寛永11年(1634年)に、
二人の遊女が神前に謡曲「小舞」を奉納したのが始まりだそうです。
お祭りでは、必ず「踊町」が踊りを奉納します。
江戸時代、長崎には77カ町があり、
それを7つのグループに分けて、
7年に一度ごとに、
踊りを奉納していたそうです。
今は、統廃合などで町の数は減ったそうですが、
7年に一度という決まりは守られており、
毎年5~7町が「踊町」として踊りを奉納します。
踊りといっても、
単なる民謡や日本舞踊ではありません。
長崎は、かつて日本で唯一海外へ開かれていた町。
中国、オランダなどの文化を取り入れた、
和洋中の独特な踊りです。
祭りの期間中、
諏訪神社やお旅所などで各踊町が、
奉納踊りを披露する一方で、
長崎市内を錬り歩く「庭先まわり」でも、
踊りを見せてくれます。

こちらは、
今年の「踊町」の一つ、
興善町の「本踊」。
三味線と唄にのせて踊っていました。
おくんちの始まりとされる二人の遊女の踊りに、
近いかもしれません。

こちらは、
大波止(おおはと)という長崎港付近に設けられた御旅所から、
奉納踊りを終えて出てきた八幡町の「弓矢八幡祝い船」。
黄色に日の丸の帆、
そして「根曳き」と呼ばれる船の曳き手たちの浴衣のオレンジが、
とっても色鮮やかです。

踊りの前に登場する傘鉾。
各踊町に一つずつあります。
こちらは、西濱町の傘鉾。
庭先まわりでは見られませんが、
諏訪神社やお旅所などの正式な奉納踊りの場では、
まず、これが登場して、
前座をつとめます。
長崎を訪れるのは、
4年ぶりだったでしょうか。
今回の目的は、
お墓参りと「おくんち」の見物でした。
私は、小学校時代を、
長崎で過ごしました。
祖父母のお墓があるのです。
そして、「おくんち」は、
私にとっては、
忘れられない大切なお祭りなのです。
私は、諏訪神社のすぐ近くの小学校に通っていて、
おくんちの期間中はいつも、
授業が午前中で終わり、
毎年、家族や友達と屋台めぐりをして楽しんでいました。
ですが、
おくんちの本命である「踊り」をあまり見ていませんでした。
今回、その「踊り」をたっぷりと見ることができ、
とても感激しました。
これからしばらく、この踊りをご紹介します。
毎日見に来てくださる皆様、
本当にありがとうございます。
本来は、滋賀の風景をご紹介するのが筋ですが、
先日の連休に、
長崎に行って参りましたので、
皆様へのお礼の意味も込めて、
ご紹介させていただきます。
「おくんち」をご存じでしょうか。
長崎市内で一番大きな諏訪神社のお祭りで、
毎年10月7、8、9日に行われます。
江戸時代初期の寛永11年(1634年)に、
二人の遊女が神前に謡曲「小舞」を奉納したのが始まりだそうです。
お祭りでは、必ず「踊町」が踊りを奉納します。
江戸時代、長崎には77カ町があり、
それを7つのグループに分けて、
7年に一度ごとに、
踊りを奉納していたそうです。
今は、統廃合などで町の数は減ったそうですが、
7年に一度という決まりは守られており、
毎年5~7町が「踊町」として踊りを奉納します。
踊りといっても、
単なる民謡や日本舞踊ではありません。
長崎は、かつて日本で唯一海外へ開かれていた町。
中国、オランダなどの文化を取り入れた、
和洋中の独特な踊りです。
祭りの期間中、
諏訪神社やお旅所などで各踊町が、
奉納踊りを披露する一方で、
長崎市内を錬り歩く「庭先まわり」でも、
踊りを見せてくれます。
こちらは、
今年の「踊町」の一つ、
興善町の「本踊」。
三味線と唄にのせて踊っていました。
おくんちの始まりとされる二人の遊女の踊りに、
近いかもしれません。

こちらは、
大波止(おおはと)という長崎港付近に設けられた御旅所から、
奉納踊りを終えて出てきた八幡町の「弓矢八幡祝い船」。
黄色に日の丸の帆、
そして「根曳き」と呼ばれる船の曳き手たちの浴衣のオレンジが、
とっても色鮮やかです。
踊りの前に登場する傘鉾。
各踊町に一つずつあります。
こちらは、西濱町の傘鉾。
庭先まわりでは見られませんが、
諏訪神社やお旅所などの正式な奉納踊りの場では、
まず、これが登場して、
前座をつとめます。
長崎を訪れるのは、
4年ぶりだったでしょうか。
今回の目的は、
お墓参りと「おくんち」の見物でした。
私は、小学校時代を、
長崎で過ごしました。
祖父母のお墓があるのです。
そして、「おくんち」は、
私にとっては、
忘れられない大切なお祭りなのです。
私は、諏訪神社のすぐ近くの小学校に通っていて、
おくんちの期間中はいつも、
授業が午前中で終わり、
毎年、家族や友達と屋台めぐりをして楽しんでいました。
ですが、
おくんちの本命である「踊り」をあまり見ていませんでした。
今回、その「踊り」をたっぷりと見ることができ、
とても感激しました。
これからしばらく、この踊りをご紹介します。
2007年09月28日
お知らせ
いつも「滋賀の風景をたずねて」をご覧下さり、
ありがとうございます。
いよいよ、残すところあと3日になりました。
数多くの方々にご覧頂いたお礼として、
これまでこのブログでご紹介した滋賀の社寺、花、食材などを
一枚にまとめた写真シートを作りました。
数は5部と少ないのですが、
ぜひ、プレゼントさせていただきたいと思います。
もしご希望の方がございましたら、
「オーナーへメッセージ」から、
私の方まで、
送り先をお知らせください。
大変恐縮ですが、
締切は、このブログが終了する30日まで
とさせていただきます。
ありがとうございます。
いよいよ、残すところあと3日になりました。
数多くの方々にご覧頂いたお礼として、
これまでこのブログでご紹介した滋賀の社寺、花、食材などを
一枚にまとめた写真シートを作りました。
数は5部と少ないのですが、
ぜひ、プレゼントさせていただきたいと思います。
もしご希望の方がございましたら、
「オーナーへメッセージ」から、
私の方まで、
送り先をお知らせください。
大変恐縮ですが、
締切は、このブログが終了する30日まで
とさせていただきます。

