2011年04月11日

よみがえれ 美しき東北

 東北の大震災から、
 今日で1カ月を迎えました。
 未だ行方不明の方もおられ、
 避難所で不自由な生活を強いられている方、
 悲しみと途方に暮れておられる方も数多くいらっしゃると思います。
 本当に、心よりお見舞い申し上げます。

 
 先日から、私が訪れた東北の風景をご紹介してきました。
 このブログでは滋賀の風景をテーマにしているのですが、
 今回、どうしても東北の風景をご紹介せずにいられなかったのは、
 今、新聞やテレビで私たちが見る風景が、
 あまりにも無残で、忍びないからです。

 壊れた家、鉄骨だけになってしまった建物、
 空に船底を見せて横たわる漁船、
 がれきに覆い尽くされた町・・・

 そのあまりにも強烈な衝撃すら覚える風景が、
 以前のその場所を知らない人たちにとっては、
 宮城や岩手、福島の海辺のイメージ、
 ひいては、東北全体のイメージになってしまうのではないでしょうか。

 でも、違うのです。
 そこには、ほんの少し前まで、
 美しい風景が広がっていました。
 白い浜、断崖、漁港、海岸線・・・
 そして、
 住む人たちの営みがありました。

 被災された方の中にも、
 「俺たちの美しい故郷が破壊された」
 「私たちの故郷は、あんながれきの野原じゃないのに」と
 嘆き、悔しい思いをしている方もおられるでしょう。

 私の訪れた東北は、ほんの少しですが、
 ちゃんと覚えています。
 そこには、美しい風景があったこと。
 それは美しい故郷であったこと・・・
 
 だから、信じています。
 また、あの美しい風景を取り戻せると。
 時間はかかるかもしれないけれど、
 美しい故郷は、
 きっと必ずよみがえると・・・

 そのために、
 末長くお手伝いしていきたいと思っています。
 そして、またいつか必ず、
 あの美しい東北の風景に会いに行きたいと思います。
 その日が、一日も早く訪れることを、
 心から祈っています。



  
タグ :東北大震災

Posted by きまぐれウサギ at 14:46Comments(0)TrackBack(0)番外編

2011年04月10日

番外編 東京の様子

 昨日まで、
 私が訪れた東北の風景をご紹介してきました。
 今回は、番外編の番外編として、
 多少、私事も交えて恐縮ですが、
 地震当時から現在までの東京の様子をお知らせしたいと思います。



 地震当時、私は仕事で六本木ヒルズの50階にいました。
 私は関西で、
 阪神大震災を経験しましたが、
 今回の地震は、その時とは、
 まったく違う揺れでした。
 阪神大震災は突き上げるような縦揺れで、
 今回の地震は、
 大きく横に揺れる感じでした。
 ビルが免震構造のせいか、
 揺れは、10分以上続いていたと思います。
 収まってきたと思ったら、
 次の地震が来て、
 また揺れ出すという具合でした。
 仕事を早々に切り上げ、
 階段で50階分を下りて地上に出ましたが、 
 地下鉄はまったく動いておらず、
 タクシーも捕まらず、
 公衆電話のボックスには長蛇の列ができていました。
 オフィスビルの上に設置された看板が落下しそうだと、
 警察の立ち入り禁止テープが貼ってあるところもありました。
 歩いて仕事場に戻りました。
 すでに、その時から、
 歩いて帰宅し始める人たちの姿が見られました。

 その日は、もう自宅には帰れないかと思いましたが、
 幸い、深夜になって一部で地下鉄や私鉄が動き出し、
 翌12日未明に帰ることができました。
 私はなんとか電車で帰宅できましたが、
 実際は、帰宅できない人が会社に泊まったり、
 歩いて帰る人たちが続出しました。
 私の知り合いにも、
 夜通し7時間歩いて帰った人もいます。

 11日からの数日間は、
 余震も多く、気が休まりませんでした。
 私が覚えているだけで、
 12日土曜日夜は3回、
 13日日曜日夜は2回、
 余震があって、よく眠れませんでした。
 携帯電話から緊急地震速報のサイレン音が聞こえるたびに、
 緊張が走り、机の下に隠れたりしました。
 正直、ノイローゼになりそうで、
 揺れていないのに揺れているように感じる地震酔いになりました。
 

 震災発生3日となる13日の日曜日になって、
 首都圏で計画停電が実施される話が持ち上がり、
 状況は一変しました。
 多くの人たちが、
 買いだめに走り始めました。
 乾電池、懐中電灯はもちろんのこと、
 水、カップ麺、缶詰、米トイレットペーパー、
 卓上コンロ、カイロ、ローソク、
 電車が動かない場合に備えて、
 自転車なども売れたようです。
 14日月曜日に、
 出勤途中、自宅近くのスーパーを通りかかったら、
 開店前にもかかわらず20人ほどが行列を作っていました。
 私は東京では車を持っていないので、
 実際には体験していませんが、
 ガソリンスタンドにも長蛇の列ができ、
 6時間かけて給油したという知り合いもいました。
 
 週明けの14日月曜日からは、 
 原子力発電所で水素爆発が相次いだこともあり、
 マスクをする人たちが増えました。
 以前から、花粉症対策でマスクをしていた人は多かったのですが、
 それがさらに増えた感じです。
 放射性物質が東京にも飛んできているのではないかと、
 心配した人が多かったのだと思います。


 震災から1週間ほどたった3月21日月曜日の春分の日。
 都内は、雨となりました。
 「雨には放射性物質が含まれているんじゃないか」と
 外出を控えた人が多かったようです。
 そして、
 その翌々日ごろから、
 今度は、東京の水道水で、
 乳児の摂取基準を超える量の放射性物質が検出され、
 ようやくおさまりつつあった買いだめと品不足が、
 再燃しました。
 乳児がいる家庭の人でなくても、
 ミネラルウオーターを買いに走りました。
 私も、仕事帰りにコンビニに寄ってみましたが、
 店の棚には、1本もありませんでした。

 今は、もう買いだめは、
 ほとんどありません。
 ですが、品不足は続いています。
 地震後1週間は、
 お店にパンや牛乳、カップ麺、卵は、
 まったく見かけませんでした。
 今も、まだミネラルウォーターや納豆、ヨーグルトはありません。
 小さなローカルスーパーは、
 比較的商品が入ってきていますが、
 全国的な大手スーパーほど、
 商品確保や配送が難しいのか、
 品不足がなかなか解消されないようで、
 ガラガラのままになっている棚もあります。
 

 計画停電は、
 私の住んでいる地域は、
 幸い対象外でしたが、
 対象地域の方々は、
 神経を尖らせていました。
 千葉に住む知り合いは、
 夜間に計画停電が実施され、
 運転中に、バチンと信号機が消え、
 町が真っ暗になったと言っていました。
 節電は、
 多くの企業が実施しています。
 駅では、エスカレーターや改札機の一部が停止され、
 お店も照明の蛍光灯を一部外したり、
 店の外の看板や広告の電気を消しています。 
 







 
 この写真は、
 3月22日午後10時ごろ、
 JR渋谷駅で撮ったものです。
 驚くほど、暗いです。
 以前は、深夜でも、
 煌々としていました。









 こちらは、
 今月7日木曜日の午後8時ごろ、
 銀座で撮ったものです。
 百貨店などは閉店時間を早めています。
 以前に比べて、いくぶ明かりがついていますが、
 ビルの上方にある広告看板は、
 今も消されています。
 3月23日ごろに、銀座を歩いた時には、
 もっと多くの店が電気を消していて、
 すれ違う人の顔もわからず、
 歩くのも怖いほど暗かったです。









 こちらは、
 午前11時半ごろの
 都心を走る列車です。
 日中は車内の照明を消しているので、
 晴れた日でも、本を読むと目が痛くなるほど暗いです。


 今、東京は節電に取り組んでいますが、
 思えば、
 東京以外の多くの地方は、
 夜になれば、店は閉まり、
 町は暗くなります。 
 山手線は、間引き運転をしているといっても、
 午後10時を過ぎても、
 7分おきに列車が来ます。
 地方に行けば、
 昼間でも30分や1時間に1本しか電車が来ない地域は、
 山ほどあります。
 今、東京は日本の地方の状況を、 
 疑似体験しているのかもしれません。
 これまで、
 いかに東京が便利で贅沢な都市なのか、 
 よくわかるのではないでしょうか。
 

 
 なんの根拠もないのに、
 私はもう、阪神大震災以上の震災は、
 私が生きている間は起きないだろうと、
 思いこんでいました。
 それだけに、
 あの阪神大震災を上回る震災が起きたことに、
 非常にショックを覚えました。

 テレビに映る被災地の状況に、
 何かできることはないかと思っていました。
 被災地の方々は、
 「なんで支援物資が来ないんだ」とお怒りだったかもしれませんが、
 支援物資を送りたいと思っても、
 東京でも、水や電池、ガソリンは手に入らなかったのです。
 被災地に行こうにも、
 鉄道、高速道路、飛行機も使えず、
 行けたとしても、緊急車両だけです。
 普通の市民には、
 どうしようもありませんでした。
 それでも、何かお役に立ちたいと、
 みんな思っていました。
 やっと手に入ったからと、
 カイロやカップ麺を持って、
 都庁の救援物資受付窓口に駆け込んだ人たちもいます。
 多くの人は、募金に応じました。
 

 東京の人たちは、
 決して、被災地の人たちのことを、
 他人事として見ていたわけではありません。
 ほとんど多くの人たちは、
 何かできないか、何か役に立ちたいと思っていたと思います。
 それは、東京に限らず、
 日本全国そうだと思います。
 とはいえ、やはり被災地とそうでない地域で、
 温度差が生じてしまうのは、
 仕方のないことだと思います。
 東京でさえ、
 いつ電車が止まるのか、
 明日は計画停電があるのか、
 水は飲んでも大丈夫なのか、
 ガソリンや米はいつ買えるのか、
 ピリピリした雰囲気が続いていましたが、
 関西に住んでいる私の仕事仲間には、
 その感覚は、なかなかわかってもらえませんでした。
 
 
 今は、東京では計画停電がなくなったことで、
 落ち着きを取り戻しています。
 ずっと水道水を飲んでいますが、
 健康に異常はありません。
 先日、スーパーで茨城産のレタスが売っていました。 
 茨城産のホウレンソウや原乳は出荷停止になっていますが、
 レタスはその対象外にもかかわらず、
 他の産地に比べ、3割ほど安い価格でした。
 東京は、人口が多いだけに、
 すぐにパニックになりやすいところだと感じました。
 ですが、過剰に心配する必要はないし、
 過剰に自粛する必要はないと思います。
 
 ぜひ、全国のみなさんが、
 今、冷静に落ち着いて、
 ですが、
 過度に委縮せず生活してほしいと思います。  

Posted by きまぐれウサギ at 23:29Comments(0)TrackBack(0)番外編

2011年04月09日

美しき東北 その4

 先日から、昨年夏に訪れた東北の海岸風景をご紹介してきましたが、
 今回は、昨春に訪れた場所をご案内します。







 こちらは、福島県にある三春の滝桜。
 みなさん、ご存じでしょうか?
 岐阜の根尾谷薄墨桜、
 山梨の山高神代桜と並ぶ
 日本三大桜の一つだそうです。









 訪れたのは、
 昨年のゴールデンウイーク。
 東北は春が遅いとはいえ、
 桜は、咲き終わっているところが多かったです。
 もう、花はないのかなと、
 半ば諦めながら訪れてみると、
 まるで待ってくれていたかのように、
 まだ、散らずに残っていました。










 

 桜の根元まで行ってみると、
 花がまるで天から流れ落ちてくるように見えます。











 滝桜のある三春町は、
 内陸部にあり、
 津波の被害はありません。
 ですが、東に約50キロ行けば、
 東京電力の福島第一原子力発電所があります。

 今回、福島は、
 最も大きな被害を受けた地域といってもいいのではないでしょうか。
 地震、津波に加えて、原発事故、避難勧告、物資途絶、出荷停止、風評被害・・・
 何重苦にも見舞われています。
 滋賀県は、京都府と一緒に、
 福島県を支援しています。
 福島県には、
 以前にもご紹介しましたが、
 日本第4位の広さを持つ猪苗代湖があります。
 同じように大切な湖がある県民として、
 行政だけではなく、
 私たち市民レベルでも、
 福島のみなさんを応援できたらと思っています。

  

Posted by きまぐれウサギ at 21:54Comments(0)TrackBack(0)番外編

2011年04月08日

美しき東北 その3

 引き続き、美しい東北の風景をご紹介します。
 







 昨夏の三陸旅行中、鉄道にも乗りました。
 三陸鉄道です。
 鉄道ファンの方なら、
 ご存じかもしれませんね。









 私たちが乗ったのは、
 三陸鉄道北リアス線の普代駅。
 観光客向けの臨時列車で、
 私たち以外の団体客も乗っておられ、
 2両列車は満員でした。









 途中、鉄橋から見た小さな港の風景です。
 ここにも、津波は来たのでしょうか。









 さらに、別の鉄橋の上で列車が停車した時に見えた
 河口の風景です。
 この反対側、つまり上流側には、
 川沿いに施設があり、
 若い女性の車掌さんに聞くと、
 サケの養殖場だと教えてくれました。
 津波の被害を受けていなければいいのですが・・・









 途中、陸中野田駅に停車しました。
 三陸鉄道は単線なので、
 対向列車とすれ違うために、
 駅に停まったのです。
 対向列車からは、
 制服姿の学生や、
 買い物の主婦やお年寄りが、
 思ったよりたくさん乗っていました。
 陸中野田駅のある野田村では、
 かつて、海水から塩を作っていたそうです。
 











 

 列車を降りたのは、
 終点の久慈駅。
 久慈は、琥珀が採れるので有名だそうです。 









 駅には、ユニークな大漁旗も
 飾ってありました。



 私たちが乗った区間は、海岸線ギリギリを列車が走っているわけではなく、
 ところどころ海が見える感じでした。
 かなり高いところに線路が通っているので、
 無事なのかと思っていました。
 ところが、
 ご覧いただいたように、
 高い場所にあったはずの、
 三陸鉄道の線路も越えるような波が来たのだそうです。
 途中停車した陸中野田駅では、
 近くまで水に浸かったといいます。
 三陸鉄道のホームページを見ると、 
 地元の方々のお役に立ちたいといち早く運行再開したものの、
 今運行しているのは、
 私たちが乗った北リアス線の陸中野田~久慈など、
 ごく一部のようです。

 テレビや新聞では、
 被害の大きかった気仙沼や大船渡、
 陸前高田、南三陸などが多く取り上げられていますが、
 野田村でも、30人以上の方が、
 亡くなったり、行方不明になっています。
 
 東北ののどかな風景が楽しめ、
 地域住民のみなさの貴重な足になっている三陸鉄道が、
 いち早く全面復旧されることを、
 お祈りしています。    

Posted by きまぐれウサギ at 05:36Comments(0)TrackBack(0)番外編

2011年04月07日

美しき東北 その2

 昨日に引き続き、
 私が訪れた美しい東北の風景をご紹介しましょう。









 岩手県宮古市を訪れた翌日は、
 海岸線を北上し、
 断崖の景勝地を見物しました。
 こちらは、
 鵜の巣断崖。
 断崖が、まるで屏風を連ねたように、
 ジグザグしています。
 断崖には海鵜の巣がたくさんあるので、
 この名前があるようです。








 
 さらにもう少し北上したところにあるのが、
 北山崎です。
 先ほどの鵜の巣断崖とは違って、
 波でできた洞窟のような穴のある
 ちょっと不思議な形の岩が見えます。

 この場所には、アイヌの伝説があるそうです。
 昔、美しい娘がいて、
 二人の若者が求婚しました。
 娘は、二人に矢競べをさせて、
 矢が岬を越えた方と結婚すると決めました。
 二人は、海岸から矢を放ちました。
 一人の矢は岬まで届かず、
 もう一人の矢は、
 岬を越え、娘はその若者と結婚した、
 というものです。









 二人の若者が矢を放った場所が、
 写真の手前にある穴の開いた岩のあたりの岸壁(矢放い場)で、
 一人の若者の矢が越えた岬というのが、
 その向こう、写真の右上の方に見える、
 もう一つの穴の開いた岩のあるところだそうです。
 本当に、あんな遠くまで矢が届いたら、
 すごいですね(笑)









 鵜の巣断崖、北山崎は、
 岩手県の田野畑村というところにあります。
 ご覧いただいたとおり、
 高い断崖となっているので、
 この地域は、津波の被害は少なかったのではないかと思いましたが、
 村のホームページを見ると、
 580棟の建物が全壊や半壊、浸水し、 
 25名の方が亡くなったり、行方不明になっているようです。
 
 また多くの人たちが、
 この美しい風景を見に来るように、
 なってほしいと思います。  

Posted by きまぐれウサギ at 12:57Comments(0)TrackBack(0)番外編